『一億人の昭和史』について


 「一億人の昭和史」とは、「毎日グラフ」「サンデー毎日」編集長を務めた高原富保が昭和50(1975)年にスタートさせたムックシリーズ。2年間で本編15巻、昭和55年までに追加の別冊6冊を出版。その後、「世界史の中の一億人の昭和史」「別冊 一億人の昭和史」「日本の戦史」等のシリーズを出し、総点数は95点。総部数は1900万部。

 【高原富保(たかはら・とみやす)】(1928~2003) 昭和28(1952)年京大文学部卒、毎日新聞社入社。ロンドン、ジュネーブ各特派員、サンデー毎日編集長、「一億人の昭和史」編集長、出版局長等を歴任し、昭和54(1979)年退社。その後は長野県飯田市に住み、日記資料を集めた「高原日記コレクション」を残した。妻は高原須美子・元経済企画庁長官・元プロ野球セ・リーグ会長(故人)。

「一億人の昭和史」本編+別冊ラインアップ

①満州事変前後(昭和元~10)、②二・二六事件と日中戦争(昭和11~16)、③太平洋戦争(昭和16~20)、④空襲・敗戦・引揚(昭和20)、⑤占領から講和へ(昭和21~27)、⑥独立――自立への苦悩(昭和27~35)、⑦高度成長の軌跡(昭和35~39)、⑧日本株式会社の功罪(昭和40~47)、⑨金権が生んだ汚職列島(昭和47~51)、⑩昭和不許可写真史 ⑪昭和への道程――大正(大正元~15年)、⑫明治・上 ⑬明治・中 ⑭明治・下 ⑮昭和史写真年表 ⑯不確実性と多様化への旅立ち(昭和51~55)

本編後でよく売れた巻

 「日本植民地史」②満州④続・満州 「昭和流行歌史」「日本ニュース映画史」「漫画大図鑑」等

シリーズの源となった毎日新聞「秘蔵写真」コレクション

 高原編集長は、「一億人の昭和史」発想のきっかけについて、辻口文三氏から「石神井倉庫の写真を何かに使えないか」と言われたことだと証言している。当時、石神井に毎日新聞社の写真倉庫があり、大阪写真部から出版写真部長となった辻口文三氏が、定年後にその写真を整理していた。その中には、昭和20年8月15日、大本営から焼却を命じられたが、大阪本社の高田正雄写真部長らが地下金庫に隠匿した文字通りの「秘蔵写真」があった。もともと戦時中、外地の写真は大阪本社の地下や奈良の秘密の場所に隠され、保管状態がよかったことも幸いした。この膨大な資産が「昭和史シリーズの船出を決定付けた」(社史『毎日の3世紀』)とされている。

読者から募集

 社の「秘蔵写真」と共に、「一億人の昭和史」は当初から読者に資料提供を呼びかけた。「読者とのコミュニケーションが深まると、読者の家に眠っていた写真が編集部に届くようになった……社内外からの情報や貴重な写真の提供は昭和史シリーズにますます厚みを加える事になり、読者の参加意欲さえかきたてていった。『一億人の昭和史』は1億人に売るばかりでなく1億人が作り上げる昭和史にもなっていった」「毎日新聞の倉庫にも、日本各地の読者の押入れにも、戦前、戦中の写真は豊富だった」(『毎日の3世紀』)。

左「一億人の昭和史⑭」より 右「一億人の昭和史⑫」より いずれも最終ページ

昭和史編集室からクロニクル編集部へ 改元前後

 昭和史編集室はのちにクロニクル編集部と名を変え、元「カメラ毎日」編集長の西井一夫(1946~2001)が編集長となって、昭和から平成への改元前後に、『決定版 昭和史』全19巻+別冊2巻(1984~1989)、『昭和史全記録』(1989)等を出版した。『決定版 昭和史』は、昭和60(1985)年までに18巻までが出され、最終19巻「昭和の終焉」は平成に改元後の1989年に出された。クロニクル編集部はその後、『20世紀年表』(1997)、『20世紀の記憶』全20巻(1997~2000)等を出版したのち、解散した。