週刊「1億人の平成史」


第1回

荻上チキさんに聞く「平成史とは」(1)

―― 平成史の意味 ――

荻上(おぎうえ) チキ

昭和56(1981)年生まれ。評論家、編集者。成城大学文芸学部卒業、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。「シノドス」プランナー兼メールマガジン「αシノドス」編集長、特定非営利活動法人「ストップいじめ!ナビ」代表理事、毎日新聞「開かれた新聞」委員会委員。TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」でギャラクシー賞ラジオ部門大賞、ラジオ部門DJパーソナリティ賞を受賞。 著書に『ウェブ炎上――ネット群集の暴走と可能性』(ちくま新書)、『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』(PHP新書)、『検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書)、『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想』(幻冬舎新書)、『未来をつくる権利―社会問題を読み解く6つの講義』(NHK出版)、『災害支援手帖』(木楽舎)など。


――(平成史編集室・志摩和生)まず、平成史をまとめる意味を、荻上さんがどう考えているかお聞きしたいです。

荻上 振り返れば、昭和が終わるタイミングでも、新聞社や出版社が、昭和史の写真集をまとめたりしましたよね。僕も昭和史の資料というのを結構集めているんですよ。今、本書いたりしているので。

 おおむね昭和史の本というのは、戦争に行くまでの流れと、戦後の歩みというのが一つの軸になっていて、戦後は、復興の時代と、高度成長の時代と、その終了の時期までが描かれていく。冷戦もひとつの軸ですね。

 このような昭和は、けっこう「ビフォア・アフター」というか、ものごとのいろいろな流れがつかみやすくはあるんです。多くの人たちが共通体験として戦争に流れていき、復興を生きた、というような物語ですね。

 それに対して、平成というのは今のところ、ポストほにゃらら、で語られることが多いと思うんですね。例えば、ポスト戦後、ポスト冷戦、あるいは、ポスト9・11、ポスト3・11みたいな形で。昭和のような「ビフォア・アフター」ではなく、まえぶれなくがらっと変わったというイメージで捉えられている。

 もちろん厳密には、9・11にせよ、事前のアメリカの中東政策といった背景があるんですけど、そこでは、いろいろ語るための前提、言葉遣い、理論とかを積極的に掘り起こしていかない限り、つかみどころがない状況が生まれているところがある。

 ただ平成は、昭和のように「○○への前兆」という流れに位置づけながら語ることがまだ難しいように思います。昭和史をまとめたのも、戦後40年ほどたってからなので、世代も変わり、客観性もあった。平成はまだ短いうえに、戦争があったよね、といったビッグイベントを中心に語るのが難しい。その実相を証言や写真からあぶりだす作業が、より難しくなるのではないか。昭和よりも、「この人にこそ聞けばいい」みたいな人がとても見つかりづらい。 僕自身は、一人に語らせるのではなく、各分野を見た人たちが、この分野で実はこういった風景がひっそりと共有されていた、といったことが掘り起こされれば、とても意義があることに思います。

――荻上さんは、物心ついたら平成だった世代ですね。

 81年生まれなので、物心ついた頃はまだ昭和ではあるんですけど、昭和の記憶っていうのは指折り数えるほどしかないので、平成の時代のほうが印象は強い。ティーンエージャーが平成の時代だったということが大きい気がします。

――平成世代として、上の昭和世代との違いを意識しますか?

 評論の世界でものを書くとき、上の世代と同じことを言うのであれば必要ないわけですね。今までの言論活動のなかに不足点があると自分なりに感じるから、それに対するオルタナティブだったり、カウンターだったり、あるいは補足ということで、何かを加えていく。その意味で言うと、結果としては、今までの議論に何が足りなかったのかということはとても意識することになりますね。

 一つは、今までの議論は、知識人が文明論的に、総合的に何でも語れるみたいなファンタジーによって、専門知というものが重視されていなかったと感じます。だからこそ自分は、専門知と総合知をつなげていくメディアづくりを志向して、TBSラジオの番組「荻上チキ・Session-22」とか、あるいはシノドスというサイトなどを作ることに、とても意欲がある。

 また、かつてのように冷戦構造の「左右」「革新・保守」「進歩派と反動」とか、そういう対立軸だけでものごとを見通すことが難しくなっている。少なくともそこに、経済の軸であるとか、生活の軸であるとか、国際的観点とか、他のいろいろなものが問われてくるわけです。

 右派と左派に分かれているように見えるけれど、反グローバリズムという点では、トランプとサンダースは手を組めてしまう。

 一つの軸だけでは語れない。かつての保革対立みたいなものだけでは政局や政策を見通すことが難しくなった。そうなると、単純でわかりやすい社会運動も難しい。複雑な実相の中で、より専門知を再論点化していき、再構築していく。パッケージというものがなかなか構築しにくい状況の中で、再度、一貫性やつながりを作り上げていく必要がある。

 そうしたことが難しいからこそ、何かのアンチという形で言論がつくられやすい。アンチ安倍、アンチ左翼、アンチ・マスコミみたいな。何かのアンチに駆動されて、そこにいろんなものがひもづいていくんだけど、それらは相互に矛盾をしていたりとか、あるいはそれをしっかり束ねてひとつの論点とし、例えば政党として育てていこうとは、なかなかならない。準拠点が存在しない。

 そういう状況の中で、再度いろんな論点をつくりあげながら、向かうべき論点パッケージや国家像、世界像をつくるにはどうすればいいのかを考えます。そのためには、なんとなく総合的なイデオロギーを語ればいいというものではなくて、より実証的な、とくに統計とか質的調査とか、いろんな調査を前提とした言論が、昨今とくに求められやすくなっている状況だと思います。そういった実証性というものは、今までにプラスして――つまり思想性が失われるわけではなく、思想性にプラスして求めていく。それを意識していますね。

――昭和世代の論点整理は単純すぎたと?

荻上 その時代にはそのパッケージでよかったのかもしれない。ただ、今は通用しなくなってしまっている。

(つづく)

*毎週月曜日更新

写真:毎日新聞出版・髙橋勝視