小林よしのり
昭和28(1953)年、福岡県大野城市生まれ。漫画家。昭和51(1976)年、福岡大学在学中に『東大一直線』でデビュー。平成元(1989)年、『おぼっちゃまくん』で小学館漫画賞を受賞。平成4(1992)年連載開始の『ゴーマニズム宣言』は、社会派漫画、思想漫画として話題に。平成10(1998)年、「ゴーマニズム宣言」のスペシャル本として発表した『戦争論』は、シリーズ160万部を超える大ベストセラーとなった。近刊に、『ザ・議論!』(井上達夫と共著)、『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論 平成29年』、『ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論・第三部 明治日本を作った男達』、『日本人なら知っておきたい天皇論』(田原総一朗と共著)など。
――(平成史編集室・志摩和生)最近、「週刊エコノミスト」(9.19号)の「読書日記」で、元号が時代の気分を象徴する、と書かれていましたね。
小林 夏目漱石の『こころ』について書いた文章ですね。
もうすぐ平成の時代が終わり、元号が変わる。今回『こころ』を読み返したのも、時代の節目に立つ我々を自覚したかったからです。
若い頃に『こころ』を読んだ時は、「恋愛関係のもつれで死んでしまったか。ずいぶんナイーブなやつだなあ」という感覚だったけど、大人になって読むと、これは明治の精神の終わりを強く意識した小説だとわかりました。
つまり、漱石は今の我々と同じように、改元という節目を意識していたわけです。
明治45年(1912)7月に明治天皇が崩御して、大正元年(1912)9月の大葬の日に、乃木希典大将が静子夫人と自決する。殉死ですね。『こころ』の語り手の「私」が尊敬する「先生」は、乃木大将の殉死に興奮して、「明治の精神が天皇に始まって天皇に終わった」「自分が殉死するなら明治の精神に殉死する積(つも)りだ」と語ります。
明治が終わって何かが失われる。いや、江戸時代が終わった時から失われ続けてきたものが、明治が終わって次の代になれば、さらに失われるだろう。それは、日本が近代化と共に失ったものです。この「今の感覚」が全部終わっていくんだろうなというようなことを、この小説は予感しています。
これは、夏目漱石自身が欧米を見てきて、近代化というものを先取り的に体験して、憂鬱な気分で日本に戻ってきたから、予感できたわけです。
失われつつあったもの、それは、ひとことで言えば「武士道精神」だとわしは思います。
実際、武士道精神は、今は失われてしまいました。乃木大将の殉死なんて、現代人にとってはまったく理解できないでしょうし、まして妻と一緒に殉死するなんて、野蛮としか映らないはずです。静子夫人は3度も自分の胸を突き、乃木大将は十文字に腹かっさばいて死んだ。こんなことは、江戸時代の武士道が残っていたからやれたことです。
『こころ』の登場人物で、自決した「K」という男の「求道精神」も、今の人は理解できないでしょう。求道的に勉学に励むとか、そのためには恋愛は堕落だとか言われても、今は恋愛こそ最も美しいもののように描かれる時代ですからね。
「K」は、恋愛によって自分の求道精神が堕落したと、それを恥じて自決する。その「K」の死を引きずって「先生」も死ぬ。今、そんな人はいないでしょうが、死と隣り合わせに生きるという感覚が、明治までは残っていたのです。
もっとも、その感覚は潜在的には生き残っていました。近代化が末端まで広がったのが大正デモクラシーの時代ですが、昭和に入って、戦争になると武士道精神が日本人の中に残っていたことがわかるわけです。特攻隊とか、玉砕とかは武士道精神がないとできることではありません。
でも、戦争が終わると共に、それも終わる。復興経済の中で、常に死を引きずる感覚はすっかり消えて、物質に埋没し、モノにこだわり、カネにこだわり……それが昭和の後半ですね。
いずれにせよ、『こころ』の読書日記で言いたかったのは、元号というもの、さらに言うなら、天皇制というものの文化的な豊かさです。「明治」という元号の終わりを意識する感覚がなければ、『こころ』という名作は生まれなかったでしょう。
一人の天皇の一生――一生でもないか、即位されてから退位されるまでで一つの時代を区切る。朝日新聞なんかは、全部西暦にすればいいとか書いたりするけど、そうなるとだらだらと節目なく時代が続いていくことになるから、ちょっと嫌だなあ、なんか疲れるなあ、という感じがするんですよ。節目があったほうが自分を切り替えられます。
それに、元号があるから世代の差異を意識する感覚も生まれるんですよ。最近は、平成生まれの人たちがついに社会の中で目立つようになってきたなあと思います。特にスポーツ選手、本田真凛とか、もう質が違ってきたでしょう。足腰だけが強い、百姓を引きずったような昔のスポーツ選手じゃなくて、いかにも椅子で育った世代がどんどん活躍している。そういうのを見ていると、ああ自分は老いたなあ(笑)と感じるわけですよね。
――小林さんは、平成という時代はどんなものだったと思いますか?
小林 そうですねえ、平成という時代は天皇陛下にとって、いい時代だったのかどうか。申し訳ないけれど、震災とか災害の時代だったし、経済的には低成長が続いた時代だった。
やっぱり、日本という国が本来もっている自然の恐ろしさ、地震とか津波とか、人間の知恵も何も及ばないものに襲われて、戒(いまし)められたような時代だったのではないかと思います。よくも自分の生きているあいだにこんなことが起こるなあ、と思ったくらいすごいものでしたから。
天皇陛下はそういう被災の現場に慰霊に出かけて、無念の人たちを慰めておられた。
また、昭和の戦争の慰霊もやっておられた。魂を鎮(しず)めるために戦場となったアジアの各地に行かれたり、あるいは、敵国だったイギリスやオランダなどにまで行って、現地のいわば反日的な人たちまでを慰めてこられた。
この国の風土的な宿痾(しゅくあ)と、引きずっている過去と、それらを、平成を通して、ある意味、浄化していただいたといえるでしょう。
――元号という節目が、世界の転換と重なることがありますね。昭和と平成の節目も、ちょうど冷戦の終了という世界史の転換と重なりました。それは、漫画家としての小林さんにもある程度言えると思っていて――というのは、昭和の小林さんは、『東大一直線』『おぼっちゃまくん』のギャグ漫画の大家でしたね。僕は『東大一直線』の大ファンで、受験の時、『東大一直線』のコミックをかばんにしのばせて上京しました……その小林さんが、平成に入って転換する。『ゴーマニズム宣言』で思想家としての側面をもつようになる。そして、実際に、平成の思想に大きな影響を与えたと思います。
小林 平成への改元のときは、ちょうど『おぼっちゃまくん』のTVアニメが始まる頃で、あの自粛騒ぎの中であんな漫画が放映できるのかと、そればかり心配していましたね。その頃はまだ「ゴー宣」は始まっていなかったんだっけ。
――「SPA!」で『ゴーマニズム宣言』が始まったのは平成4(1992)年ですね。
小林 そうか、それじゃあもう、平成は「ゴー宣」の時代だ(笑)。イコールだね。そういうことになるなあ。
――その世論への影響をどう考えていますか。
小林 申し訳ないけど、右傾化させてしまいました(笑)。それは、ありますな。
(つづく)*毎週月曜日更新
写真:毎日新聞出版・髙橋勝視