週刊「1億人の平成史」


第13回

栗原裕一郎さんの「平成の論壇:ニューアカの呪縛」(1)

―― 「左」がやるべきことを「アベノミクス」がやっちゃった件 ――

栗原裕一郎(くりはら・ゆういちろう)

昭和40(1965)年、神奈川県生まれ。評論家。東京大学理科Ⅰ類除籍。文芸や音楽など幅広く評論活動を行う。平成21(2009)年、『<盗作>の文学史』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)受賞。著書に『禁煙ファシズムと戦う』(小谷野敦、斎藤貴男と共著)、『村上春樹を音楽で読み解く』(監修、共著)、『本当の経済の話をしよう』(若田部昌澄と共著)、『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美と共著)、『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』(北田暁大、後藤和智と共著)など。


リベラルVS経済論壇

――(平成史編集室・志摩和生)栗原さんが北田暁大さん、後藤和智さんと出した『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』を大変面白く読みました。30年といえば平成期と重なります。今回は栗原さんには平成の論壇について語ってもらいます。

栗原 平成の論壇というと、冷戦崩壊以後の論壇ということになります。

 それを考えるにあたっては、平成元年にさかのぼるより、まず現状どうなっているかを見たほうがいいと思うんですね。

 今年の10月に衆議院選挙がありましたが、安倍政権に対する評価が、左右でまったくちがっていました。今回の選挙に限らず、安倍政権に対する評価はずーっと食い違っている。本当は「左右」ではないんですが、さしあたりおおざっぱに「左右」としておきます。

 何が根本的に対立しているのか。その中身が非常に「平成的」なのではないか、と思うんです。

 まず、左側、リベラルサイド——『現代ニッポン論壇事情』の中では「朝日・岩波文化人的言説」と言いましたが、そういうリベラル的な言説がいっぽうにある。そして、いっぽうに産経新聞や読売新聞、「正論」や「WiLL」などの論調に代表される保守論壇があって、それらが対立している、と一般には見なされていると思うんですよ。

 でも、安倍政権への評価の差というのは、「アベノミクス」をめぐって起こっているところが大きい。アベノミクスに関しては、保守とリベラルが対立しているのではなく、リベラルと経済論壇——いわゆるリフレ派が対立している。

 つまり、安倍政権評価で、一般に保守対リベラルの対立と思われているものの背後に、リフレ派対リベラルの対立が隠れているんです。

 リフレ派は、基本的に、安倍政権のアベノミクスを評価している。リベラルサイドは、そういう経済的な論点はほぼ見ない、というより経済成長に否定的、かつデフレや緊縮政策に容認的で、憲法改正や安保法制などこそが論点だと考えている。両者は、安倍政権評価に関して対立しているけれど、論点が重なっていないから議論にならない。その齟齬(そご)は、源をたどると2000年代前半くらいからずっと続いている問題である。さらにさかのぼると90年代前半くらいに齟齬の芽は生じてきている。

 それが、平成の論壇の特徴を表しているかな、と思うんですね。

――「リフレ派」というのをもう少し説明していただけますか。

栗原 リフレ派は、リフレーション政策を支持する立場の人々のことです。アベノミクスの中身はリフレーション政策ですので、リフレ派は安倍政権を評価するわけです。

 ただ、リフレ「派」といっても、「日本会議」的な組織や会派があるわけではなくて(笑)、考えを同じくする人たちの一群が、クラウド的にというかなんとなくいて、その漠然とした集まりやつながりがリフレ派と呼ばれている。自称する人もいるし、しない人もいる。僕も別に自称したことはないですが、リフレ派とされることがあったりします。

――たとえば「正論」とか「WiLL」とか「Hanada」とかに書いている、安倍政権支持派の人たちというのは、リフレ派なんですか?

栗原 なかにはいるかもしれませんし、リフレ派の人が登場することもありますが、論調の基調をなしているのは保守とか右翼と呼ばれる人たちだと思います。

 いわゆるリベラル対保守の、保守ですね。旧来の、改憲や安保法制、集団的自衛権、アメリカに対するスタンスといった論点を争点にしている。

 保守とは別にリフレ派がいるわけです。安倍政権支持ということでリベラルサイドには同一視する人が多いんですけど、ここは実は重なっていないんです。保守というのはイデオロギーですが、リフレ派というのは、経済政策としてはアベノミクスが、問題点も少なくないものの、大筋では正しいだろうという判断から推進している立場の人たちなので、本来的にはイデオロギー的な動きではないんですね。

――たとえば上念(司)さんとかですか?

栗原 上念さんはちょっと右寄りかもしれません(苦笑)。

――上念さんは「WiLL」とかにも書いていますよね。

栗原 なかにはいますよね、右翼っぽい人も。アベノミクス推しがこうじて安倍推しになっている人もいますし、左翼たたきのためにリフレ派的言説を利用しているネトウヨみたいな人たちもいます。完全にリベラルな人ももちろんいますし、まあ、いろいろですよね。リフレ派だけど反自民だから立憲民主党や共産党に入れたという人もいますし。共通しているのはリフレ政策に対する評価であって、それ以外の改憲や安保、原発問題などの論点、イデオロギーについてはあまり意識を共有していないわけですね。原発問題は違うかな、関係してきますので。

――百田尚樹さんとかは?

栗原 百田さんは経済のほうには首をつっこんでこないので関係ないと思います。

――だけど、安倍支持派ですよね。

栗原 リフレ派と安倍政権の関係は、保守派の人たちとはまた別なんですよね。リフレ派は安倍政権を支持していますが、安倍政権を支持しているからといってリフレ派になるわけではない。保守には、安倍晋三首相を個人的に崇拝している人が多いのかなあ、僕はあまり知らないのですけれど。

 まあ、いまのご質問にも表れているように、リベラルサイドから見ると、保守とリフレ派ってほとんど一緒に見えていると思うんですけど、そもそもはまったく別なんですよね。

 反対に、保守の人はどうかわかりませんが、リフレ派からも、リベラルサイドはわりと一緒のトーンに見えてしまっている節はあると思います。純粋に経済畑のリフレ派の人なんかだと、保守とリベラルの織りなすいわゆる論壇とかに興味のない人もいますし。実際には、リベラルサイドにもグラデーションがあって、共産党と新左翼の対立という歴史がまずあり、新左翼の流れをくむ人たちがいて、それとは別の流れにしばき隊やSEALDsなんかがいて、あとまあネット左翼みたいな人たちもいますけど、そういう具合に何層かが重なっているわけですよね。

 だから、左右の対立、リベラル対保守の対立のように見えているものは、実は二項対立ではなくて、四とか六項対立くらいになってくるはずなんですよ。それが、各陣営から見ると、実際には違っているはずの主張が一つのものに見えていたりする。だから議論がかみ合わない。そういう不毛な状況が続いているんじゃないかなあ、というのが、今回の選挙までの印象ですね。

新しい「知」の登場

――どの時点でそのような複雑な状況が生まれたのでしょうか。

栗原 冷戦構造とバブル崩壊の後じゃないかと思います。

 平成になって冷戦構造が崩壊し、旧来の左翼的言説が効力を失っていきますよね。バブル崩壊と55年体制の崩壊で自民党も変質していきます。

 バブル崩壊は92年ですが、90年代の半ばくらいから不況が目に見えるようになってきて、2000年代に本格化します。

 2001年に小泉内閣が成立して、構造改革路線、「新自由主義」といわれる政策を採り始めて、ワーキングプアやロスジェネ、貧困と格差が論壇の問題になり始めます。

――新自由主義って、小泉・竹中路線みたいなやつですね。ロスジェネというのは、バブル崩壊後の就職氷河期を経験した世代……。

栗原 そうですね。それで、デフレが本格化してきたころに、リフレーション政策を唱える人たちが出現してきます。2000年前後くらいのことですね。

 経済学の議論としては、世界大恐慌の研究から、デフレ脱却には金融政策が効くというコンセンサスができてきて、その考えを共有する人たちがリフレ派として認識されていったという流れです。

 それと並行して、人文学系のほうでも、マルクス主義的な思想の衰退を背景に、もうちょっと実際的で現実的な経済の話をしなければいかんだろう、という機運が生まれてきます。マルクス主義にとらわれた旧来の人文学的教養では、現状にまるで対応できていないし、説明もできていない、と。ニューアカデミズム、ポストモダン思想の退潮というのも背景にはあったと思います。ソーカル事件を起こした物理学者のアラン・ソーカルが『「知」の欺瞞』を出版したのが97年、邦訳が出たのが2000年ですね。山形浩生さんがポール・クルーグマンを紹介し始めたのが90年代後半くらいですか。

 そこで現在の主流である新古典派経済学が浮上してきます。マルクス経済学と新古典派経済学はいわば敵同士ですが、その対立が人文方面でも表面化してくるわけですね。リフレ派が依拠しているのは新古典派経済学なので、いまだにマルクス主義の支配の強い人文系の中で新古典派経済学に目を向けると、自動的にリフレ派にくくられてしまうというのもあると思います。

――クルーグマンは、のちに日本に金融緩和を提案する経済学者ですね。

栗原 そうですね。クルーグマンが元祖リフレ派というべきインフレターゲット論を提唱したのが98年で、山形さんが翻訳紹介しました。

 その頃、東北大の数学者・黒木玄さんが開設していた「黒木のなんでも掲示板」というのがあって、そこに、山形さんとか、社会学者の稲葉振一郎さん、物理学者の田崎晴明さんなど有名無名問わずいろんな人が集まって、いろいろとハイレベルな議論と情報交換をしていたんですよね。社会学者の岸政彦さんも出入りしていたらしい。僕はときどき見てただけですが(笑)。ソーカル事件が日本で最初に話題になったのも黒木掲示板でのことで、田崎さんはその後『「知」の欺瞞』の翻訳を手掛けています。そういう、まあ、日本の人文系かいわいがフォローアップしていない新しい「知」の話題の中に、クルーグマンのインフレターゲット論やリフレ政策もあったんですね。

――山形さんとか稲葉さんは、経済学者じゃないですよね。

栗原 山形さんはシンクタンクの社員のかたわら翻訳業と評論業をしている。稲葉さんはそもそもは社会学者ですね。

 稲葉さんが2004年に『経済学という教養』という本を出してまして、これが人文学と経済学という意味では画期となった本だと思います。それまでの論壇文壇で支配的だったニューアカ、ポストモダン的なパラダイムに対して引導を渡した本です。

――へえ。

栗原 これからの教養はこっちだよ、と、新古典派経済学を提示したんですね。『経済学という教養』も、まあ、リフレ派の一発露ということになると思います。

 このあたりから、旧来の、マルクス主義〜ポストモダン思想を脱却して、新しい思考のツールとしての経済学をベースに人間とか社会とかを考えていきましょうという動きが、ゆるゆるとですが出てきます。リフレ派というのはその意味で、広義には、人間や社会をどう捉えるかということの転換でもあったのですね。

――そこには、日本の経済学者も入ってきているわけですか?

栗原 そうですね。経済学というのがそもそもは、マルクス経済学もそうですが、人間と社会の活動に関する科学ですから。人間の不合理な行動を科学する行動経済学なんか典型的にそうですよね。もっとも、人文系論壇とリフレ派とのあいだに交流が成立しているかというと、まあ、ほぼないというのが現状でしょうか。

 2004年に岩田規久男さん編著で『昭和恐慌の研究』という本が出たんですが、ここに登場している人たちが「原初リフレ派」ということになるようです。昭和恐慌研究会と銘打たれていますが、安達誠司、飯田泰之、岡田靖、片岡剛士、黒木玄、高橋洋一、田中秀臣、中村宗悦、野口旭、浜田宏一、原田泰、矢野浩一、若田部昌澄といった、今もよく目にするお名前が並んでいます。岩田さんは日銀の副総裁になりましたし、原田さん、片岡さんも日銀の審議委員に就任しました。浜田さんは内閣官房参与ですね。

――そういう方は経済畑の方でしょうから、ニューアカとは直接関係ない?

栗原 目配りしている人は多いと思いますよ。浅田彰氏だって専攻は経済学ではないですか。

 稲葉さんは社会学者ですけど、あの人はゼネラリストなんで、そのときそのときの知のありようで、重要、本流であるところをずっと押さえてきている感じですよね。

――ニューアカというのはマルクス主義的な経済観だったんですね。

栗原 ニューアカ自体は、68年に始まる欧米のニューレフト運動の理論が日本に輸入されたものですよね。

――それが、それまでの論壇で支配的だった、と。

栗原 そうですね。浅田彰の登場する80年代半ば、「新人類」が出てきたころから、90年代の半ばくらいまで、柄谷行人が「批評空間」とかをやってるころまでは、論壇文壇、特に文壇ではヘゲモニーを握っていたといっていいんじゃないかと思います。「批評空間」が終刊するのが2002年ですね。

 湾岸戦争に対する反対声明を文学者たちが出したという事件が91年にありました。日本のニューアカデミズムというのは政治性が薄かったんですよね。欧米のニューレフトは、68年の蜂起に由来していて、そのアクションに対する理論づけという性質の動きだったのに、日本に輸入されると政治性が脱臭されてしまって、消費社会批判を繰り出しつつ消費社会に従順な、価値相対化ばかりが肥大しているような奇妙なものになっていました。

 島田雅彦氏のような、左翼を相対化してサヨクにするみたいな軽佻浮薄(けいちょうふはく)な政治性はあっても、ガチな政治性はなかったですよね。

 それが、湾岸戦争を境に急速に左傾していくんですね。仲正昌樹が「ポスト・モダンの左旋回」と表現した事態が起こってくる。朝日新聞や毎日新聞は好んで、元ニューアカの、高橋源一郎や島田雅彦、柄谷行人といった人たちの反体制的発言を載せますが、まあ、そういうふうに政治性がわかりやすく前面に出るような変貌を遂げていきます。

――東浩紀さんは?

栗原 東浩紀はニューアカの後継者的存在ですが、橋下徹を評価したり、リベラル批判をしてみたりで政治的な立ち位置は微妙ですかね。

ニューアカ的なものへの失望

――いまおっしゃっているのは、朝日新聞とかでリベラルな感じのことを言う方たちですね。

栗原 はい。高橋源一郎氏、内田樹(たつる)氏を2頂点とする、あのラインの人たちですね。

――護憲派ですね。

栗原 護憲派というか、反安倍ですよね。脱経済成長で、デフレ緊縮上等で、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)、グローバリズム、安保法制、集団的自衛権には反対、原発は即廃止、憲法9条は護守というそういう立ち位置の人たちですね。

――それに対する反発、あるいはオルタナティブがリフレ派?

栗原 いや、それはあんまりないと思いますね。あっても、マルクス経済学への批判意識でしょうね。ニューアカ的な人たちは経済学には別に明るくないので。なんで左傾化したのかなくらいは思っているかもしれませんが。

――なぜなんですか?

栗原 なぜなんでしょうね(笑)。

 そのあたりを分析して、最近面白かったのは、外山恒一の『良いテロリストのための教科書』。外山さんは、2007年の東京都知事選に出馬して政見放送のパフォーマンスで話題を呼んだ——。

――……ちょっとあぶない人ですよね。

栗原 あぶなくないですよ、別に(笑)。外山氏は、学校教育、管理教育批判から左翼運動に行って、左翼に愛想をつかして右翼に行き、右翼にも失望して、最終的に両者をアウフヘーベンしてファシストになった人です。

――あぶないじゃないですか(笑)。

栗原 芸人的におもしろさを追求しちゃうみたいですが、あぶなくはないですよ(笑)。『良いテロリストのための教科書』の版元は、青林堂という名うての極右出版社で。ネットで左翼批判というか左翼の罵倒にいそしんでいる「愛国者の皆さん」に向けて、そういうおおざっぱな批判では左翼を討てませんよ、正しく左翼を罵倒するために左翼に関する正しい知識をつけましょうという体裁で書かれた左翼運動史という、だいぶねじれた本なんですけど。

――そこにニューアカが左傾化した理由も書いてあるんですか。

栗原 欧米のニューレフトにあった政治性が日本のニューアカで脱臭されてしまったのはなぜか、それは日本の新左翼の特殊性に起因するのではないか、新左翼を忌避する意識によって覆い隠されていたけれど着実に植え付けられた左翼意識が結局発現しているのではないか、みたいな仮説を立てています。

 アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『〈帝国〉——グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』が2003年に翻訳されました。あれも68年のニューレフトの延長線上にある本なんですけど、でも日本のニューアカ勢にはそういうものとしてあまり受け取られなかった。どちらかというと、カルスタ方面やプレカリアート、非正規雇用や貧困、格差を問題にしていた人たちが評価していましたよね。

――さっきおっしゃっていた稲葉振一郎さんの問題意識はどのへんにあったんですか。

栗原 やはりニューアカデミズムに対する失望が大きかったと思うんですよね。『経済学という教養』の前書きに、この本は、ポストモダン思想であるとか、ニューアカデミズムにはまってしまった人たちへの解毒剤だ、みたいなことが書いてあります。ポストモダン〜ニューアカの相対主義というのは、マルクス経済学の経済学批判と実は同型で、同じ隘路(あいろ)にはまっている、そこから抜け出すために主流派経済学を少し真面目にやらないとだめだ、と言うわけですね。

 経済学というのは、社会と人間を把握するための社会科学であって、別にカネ勘定だけをしているわけではないんですよね。

――それは、マルクス経済学もそうでしたよね。ただのカネ勘定の学問ではない。

栗原 マルクス経済学は、経済学への批判としての経済学なので、そもそもメタ経済学なんですよね。

 でも、東ドイツやソ連の崩壊があって、結局、マルクス主義的な社会主義、計画経済的なものはうまくいかないっていうのが歴史的に実証されてしまった。

――マル経やニューアカへの失望はわかりますが、それとリフレ派との連関はどうなっているんですか?

栗原 日本ではマルクス経済学がずっと支配的でしたよね。とくに論壇や文壇では。今でもそうかもしれない。欧米の文脈では、クルーグマンとか(ジョセフ・E・)スティグリッツといった新古典派経済学が主流になっていたわけですが、そちらのほうの議論はまったく紹介されていなかった。そこへ、デフレ日本への現実的な処方箋としてクルーグマンが紹介されたというのが大きかったのではないかと思います。

――スティグリッツもクルーグマンもノーベル経済学賞をとりましたね。

栗原 ええ。でも日本では、90年代後半になってもまだマルクス主義が幅をきかせていたわけですね。

――東大とか、アカデミズムでね。

栗原 あと、カルチュラル・スタディーズ(カルスタ)もありましたね。カルスタは2000年前後くらいで失速するんですが、カルスタもマルクス主義に基づいた、社会構築主義、文化相対主義ですよね。ソーカル事件が起こったのが90年代後半ですが、ソーカルが論文を送り付けたのはカルスタの学術誌でした。

――あれは面白い事件でしたね。ソーカルという物理学者が、カルスタの有名な雑誌にわざとでたらめな論文を書いて送ったら採用された、という。ポストモダンやカルスタが「ファッショナブルなナンセンス」であることを暴露した事件。

栗原 ソーカル事件は、ポストモダン思想というのは自然科学の概念を雰囲気作りのためにデタラメに利用しているだけだと告発したわけですが、同時に、ポストモダン思想の相対主義が科学にも及んでいることを批判した「サイエンス・ウォーズ」という側面も持っていました。

 ポストモダン思想の欺瞞(ぎまん)が糾弾されはじめて、それが日本へも波及してきたというのが2000年前後の状況です。それ以降、ポストモダンってただのデタラメじゃないかという雰囲気が強くなっていく。

――ハッタリというか。

栗原 でも日本の人文系や文学系の出版社は、ニューアカ以降、ずっと変わらずに、ニューアカ的なものを継承しているんですよね。いまだに若手ドゥルーズ研究者を「気鋭の新人」とかいって売り出そうとする。この期におよんでドゥルーズ研究の新鋭かよ……と呆(あき)れるんですが、でも、まあ、そういう売り方がいまだに有効であるという現実もあるわけです。

 ニューアカの嫡子とされる東浩紀氏なんかは案外そのへんを見切っているのか、実はそれほどポストモダン的な論調というのはしなくなるんですよね。思想オタク向けのジャーゴンみたいなものは少なくなって、オタク文化論であるとか、美少女ゲーム論であるとか、そういうもう少し一般的に開く方向に移行していった印象です。

 でも、人文系とか、文学系もそうですけど、いまだにポストモダン、ニューアカに対する夢を捨て切れなくて、何かといえば柄谷行人氏あたりを祭り上げようとする。

――それは、カルスタやニューアカ的な研究者がまだ大学とかにいるんでしょう。

栗原 そうでしょうね。僕は大学の事情はよくわからないですが。

――はやらなくなったからといって、大学をクビになるわけではないでしょう。

栗原 ただ、プレゼンスは薄くなっている気がします。昨今のデモを中心とする運動の中で、カルスタみたいな、思想をベースにした勢力が弱まっていった印象もあります。

 毛利嘉孝さんなんかも反原発運動の初期にはコミットしていましたけれども、ごく早い段階でフェードアウトしちゃっている。反原発運動は一枚岩に見えますけど、何系統かの左派勢力が混在していて、その中でせめぎ合いがあったようです。このあたりさっきの外山恒一『良いテロリストのための教科書』に詳しいです。毛利さんなんか、元しばき隊の野間易通さんとかからすごいdis(ディス)られてましたよね。

――そうなんですか。

栗原 『現代ニッポン論壇事情』の担当パートで、SEALDsにいたるリベラル左派の文化運動の流れを整理しました。そこで僕は、毛利さんがカルスタ的に「ストリートの思想」「文化=政治」だと評価した99年のシアトルデモが輸入され、サウンドデモを経て反原発運動になって、SEALDsにつながっているんじゃないかというふうに話したんですが、本の出版後、野間さんから取材の依頼があって、あれはちがうんだよ、と言われました。外山さんの本でもちがうと書かれています。

 99年のシアトルデモから始まったカーニバル的なデモっていうのは、カルスタが理論的に主導しようとしたものだったんですけど、それが3・11後の反原発デモあたりから複数の勢力の合流と淘汰(とうた)があって、ちがうものになっていくんですね。だから、SEALDsとシアトルデモは、実はつながっていない、と。

 で、野間さんたちがやっていたしばき隊なんかは、左派運動としては比較的後発組で、理論ありきで運動をしてきた人たちではないんですよね。理屈よりまず行動しろというタイプ。旧来の、新左翼由来の運動家の人たちは、反原発デモの初期のころに淘汰されてしまったと外山本には書かれています。

 ちなみに、ネットでは左翼を揶揄(やゆ)するのに「パヨク」という言葉が使われていますが、これはしばき隊やC.R.A.C.K.を指すのに使われだしたもので、左翼全体に使うのは間違っている、と外山恒一は指摘しています(笑)。野間さんなんかは「ヘサヨ」という罵倒をしますが、これは「ヘイトスピーチに反対する会」を略したもので、新左翼系に対する蔑称です。いろいろややこしいわけです(笑)。

「左翼」の行方

――2000年前後といえば、当時アメリカの代表的哲学者で、リベラル派のリチャード・ローティが『アチービング・アワ・カントリー Achieving Our Country』という本を書いて、「文化左翼」批判をしました。左翼が、貧困や不平等といった社会問題に立ち向かわず、普通の人々に加害者の罪悪感を植え付けるような言葉狩りみたいなことばかりやっている、と。僕はそれを読んで感激して、ローティ氏とメールのやり取りをしました。日本の状況も同じだと思ったからです。

栗原 ローティとやりとりしたんですか! それはすごい。で、そうですね。左翼がアカデミズムに吸収されちゃって、高みからものを言っているみたいな感じになったわけですよね。

――労働者のことを考えてくれていない。

栗原 ローティが言う文化左翼と、日本で言われる文化左翼は、ニュアンスが若干ちがうと思うんですよね。ローティのその本、邦題は『アメリカ未完のプロジェクト 20世紀アメリカにおける左翼思想』で、最近新装版が出ましたが、そこでローティが言っている文化左翼と、たとえば東浩紀が主宰する雑誌『ゲンロン4』で佐々木敦が「ニッポンの文化左翼」と題する巻頭言を寄せていますが、佐々木の言う文化左翼は少しちがっている。

――カルチュラルレフト(cultural left)ではなく?

栗原 カルチュラルレフトというより、政治性を帯びた左翼的言説くらいの意味合いに薄まっていますね。文化左翼というのは要するに、野間さんが批判する「ヘサヨ」みたいな人たちのことであるわけですが、佐々木さんは政治的ニュアンスがあれば文化左翼に分類しちゃっている。なんていうんですか、去勢のされかたの具合が、ニューアカの輸入時の脱政治化に似ているというか。

――もともとニューアカの浅田彰さんも「ルサンチマンを捨てなさい」と言っていましたね。それは、階級的な怨嗟(えんさ)を捨てよ、ということかな。経済的不平等の是正とかよりも、性的少数者を守ろう、みたいな。

栗原 浅田さんは、高等遊民というかセンスエリートで、実は割と差別的でしたよね。趣味の悪いやつは死ね、くらいの勢いで。皇居に集まった人を「土人」と言ったり(笑)。

――そうでしたね。ただ、いずれにせよニューアカは、新左翼を含めた旧来の左翼から離れようとした。

栗原 日本の新左翼運動が過激になりすぎちゃった反動もあったと思うんですよね。内ゲバの殺し合いがあり、よど号ハイジャック事件があり、あさま山荘事件があり、その後も内ゲバが常態化してずーっと続いていたという。欧米のニューレフト運動とはそのへんの展開がだいぶ違うようです。

――平成の中でも、年越し派遣村の運動とかは正しい左翼運動だったんじゃないでしょうか。貧困や非正規労働の問題に、世の注目を集めさせました。湯浅誠さんとか。

栗原 湯浅さんも左翼ですけど、あの人は実際家で、運動家ではないですよね。弱い人が助かるなら別に民主党でも自民党でも何でも利用すればいいじゃないかというスタンス。

――でも、正しい方向ですよね。

栗原 そうですね。貧困対策や雇用改善というのは、本来は左派がやるべき運動ですけど、でも結局、日本では、そこを安倍政権がやっちゃったわけですよね、アベノミクスで。

(つづく)*毎週月曜日更新

次回以降予告
12月11日 栗原裕一郎さんの「平成の論壇:ニューアカの呪縛」(2)
12月18日 栗原裕一郎さんの「平成の論壇:ニューアカの呪縛」(3)
12月25日 小室哲哉さんの「平成のpop music: 渦中からの証言」(1)

写真:毎日新聞出版・髙橋勝視