週刊「1億人の平成史」


第15回

栗原裕一郎さんの「平成の論壇:ニューアカの呪縛」(3)

―― 論壇に「新陳代謝」が足りない ――

栗原裕一郎(くりはら・ゆういちろう)

昭和40(1965)年、神奈川県生まれ。評論家。東京大学理科Ⅰ類除籍。文芸や音楽など幅広く評論活動を行う。平成21(2009)年、『<盗作>の文学史』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)受賞。著書に『禁煙ファシズムと戦う』(小谷野敦、斎藤貴男と共著)、『村上春樹を音楽で読み解く』(監修、共著)、『本当の経済の話をしよう』(若田部昌澄と共著)、『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美と共著)、『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』(北田暁大、後藤和智と共著)など。


メディアと知識人の怠慢

(承前)

――(平成史編集室・志摩和生)10月の選挙結果は安倍自民党の大勝でした。文壇はほぼ100%反安倍なのに、日本国民を大きく見れば安倍支持なわけでしょ。その構図をどう見られていますか?

栗原 「100万部のベストセラーでも日本の人口の1%しか買っていない」とよく言われますが、文芸誌は実売で1万部にいかない。読んでいる人はせいぜい数千人くらいですよね。

――特殊な世界だ、と。

栗原 まあ、特殊な閉鎖領域ですよね。作家の磯崎憲一郎が「週刊文春」のインタビューで「文壇は40人から50人で構成されている」と言ったことがあるんですが、そういう少人数の世界であると。

 ただ、芥川賞が社会的ニュースになるので、純文学というものが文化の何かを代表しているみたいな意識が世間にはまだ残っている。実際、いまだに文芸時評が新聞に載っているわけですよね。

――ハイカルチャーの代表、文化の粋だ、と。

栗原 数百人から多くても数千人くらいの読者しかいない、おまけにそのほとんどは雑誌に載ったきり忘れ去られてしまう小説を論じた文章が、数百万人の読者を持つ大新聞に毎月載っているというのも不思議なことだなといつも思います。

――新聞の論調についてはどういうご意見ですか?

栗原 毎日さんも安倍政権に批判的ですよね。朝日・毎日・東京(中日)が基本的に反安倍政権ですよね。読売と産経が安倍政権支持で、日経も反安倍政権、反アベノミクスだと思うんですが、記事によってばらつきが多くてよくわからないところがある。

――まあ、それがリベラル対保守の構図の一般的な理解ですよね。

栗原 たとえば朝日新聞は内田樹氏を好んで起用しますが、『現代ニッポン論壇事情』でも象徴的な批判対象として扱われています。あの本では内田氏の、就職氷河期、ロスジェネの世代に対する無理解や視線の冷ややかさをもっぱら問題にしました。ロスジェネを「日本最弱の世代」と切り捨てて、彼らを踏み台にするように、当時ご執心だったSEALDsの世代を自分たちの世代となじみがいいと褒めあげてみせる。反安倍政権や反原発という意識が共通していることをアピールしているわけですが、企画提唱者である北田暁大氏がこの発言にキレたのが本の出発点になっています。

 就職氷河期やロスジェネの受難というのは、デフレ経済のせいだったわけですが、当時は自己責任とする論調が多かった。しかし、雇用状況の悪化やブラック企業の蔓延(まんえん)というのはデフレに起因する問題であるというのが、まあ、リフレ派の議論の成果も少なくないと言っていいと思うんですが、次第にわかってきました。安倍政権、アベノミクスの効果で新卒就職率は改善しますが、就職氷河期、ロスジェネの人たちは働き盛りを非正規雇用、低賃金労働で潰されて、社会的に弱い立場のまま30代後半から40代前半にさしかかってしまっている。結婚もできない、将来の展望もないという、経済的社会的にまさしく「最弱の世代」になってしまったわけです。

 新卒の雇用状況は改善した、次は就職氷河期、ロスジェネ世代をどう救済するかというところに議論は広がっているというのに、内田氏はそんなことは一顧だにせず、悠々自適に適当な安倍およびアベノミクス批判をし脱経済成長を説いて、彼らを「最弱の世代」と切って捨ててはばからない。そういうある意味で知的に怠慢な態度は内田氏に限った話ではなく、左派知識人一般に見られる経済軽視に由来する「思想の核心的問題」である、というのが北田氏の問題提起で、共著者も共有するコンセンサスだったんですね。

 そういう人たちを、リベラルメディアはずっと登用し続けている。

――メディアによく出る人というのは、一般にはメディアが言ってほしいことを言ってくれる人でしょうね。

栗原 だとしたら、リベラルなメディア全体に「思想の核心的問題」が蔓延していることになっちゃいますけどね。

――この場合の言ってほしいことというのは、経済のことではなく、護憲とか、「反安倍」とかでしょう。

栗原 なるほど。でも経済問題だけは別というのもおかしな話になりますよね。

 日経がある意味でいちばん不誠実かなと思うんですが……、日経は「フィナンシャル・タイムズ(FT)」を買収しましたよね。FTというのは欧米で経済論説に定評のあるメディアで、日経も翻訳を掲載します。FTは安倍政権やアベノミクスを評価しているのでときどきアベノミクスに好意的な論説が載るんですが、日経新聞はそういうものの翻訳は載せなかったりするんですよね。宮崎哲弥が「週刊文春」の連載コラム「時々砲弾」で批判していました。

――日経は反安倍なんですか?

栗原 反安倍というかアベノミクスに批判的なことはよく書いてますよね。なんだこりゃ?という記事が載っていることもあるし。日経は経済以外の記事が良いという評判はよく聞きます(笑)。財務省寄りだという批判もありますが、僕はそのへんはよくわからないですね。

平成文化の明暗

――さて、そろそろ時間なので、平成の論壇・文壇の印象を短くまとめていただいて、終わりにしましょう。

栗原 平成は、やっぱり不景気な時代、不況の時代でしたよね。文化もそうですね。 やっぱり文化って景気に左右されるものなんですよね。出版もどんどん落ち込んでいるし。ニューアカ・ブームというのもバブル経済が背景にあったからこそのブームでした。 一方で、不況時には娯楽産業が伸びるという話もあって、戦後の映画ですとか、CDの売り上げがピークを迎えたのもたしかに不況真っただ中の98年のことでした。最近のアイドル・ブームもリーマン・ショック後に本格化して爆発的に市場が広がったという経緯をたどっています。

 ただ、表現の中身を見ると、景気というものが如実に反映していたりします。昨年SMAPの解散が浮上して、僕も何本か記事を書いたんですが、多くの人に共通していたのは、SMAPと平成という時代を重ねる論調です。SMAPは平成の始まりと前後して結成され、今上天皇が退位の意向を表明したのと前後して解散が決定的となりました。活動期間が平成とほぼ重なっていたんですね。

 94年のシングル「がんばりましょう」が象徴的で、ボーイとガールに「どんな時もくじけずにがんばりましょう」「かっこわるい毎日をがんばりましょう」と呼び掛ける歌詞なんですね。で、「いつの日にかまた幸せになりましょう」とエールを送る。キラキラした非日常をモットーとしていたジャニーズからすると非常に泥臭い歌詞なんですが、それが共感を得てヒットしたんですよね。

 文学はと言うと、平成以降は小粒化しているというか、社会と無関係なものになっていっている印象が強い。70年代くらいまでは文学と社会がリンクしていて、時代を象徴するような作品がありましたが、80年代になると文学が時代を映すことが減っていって、平成になるともう時代とは無関係な感じになっていく。時事的なテーマがあったとしても、フリーター文学とかワーキングプア文学みたいな作者の境遇や身辺を写したようなものばかりになる。平成以降の芥川賞受賞作を見ても、何も社会を映してない感じがすごくしてしまう。それもまた景気の反映かなと思います。カネ回りが良ければでかい話も出てくるんでしょうが、純文学作家や作家志望者なんてカネがない人のが多いのでこぢんまりしてしまうというのはあると思うんですよね。

 前回の芥川賞を受賞した沼田真佑の「影裏(えいり)」は、東日本大震災とLGBTを裏の主題にした作品なんですけど、同時代的なモチーフを扱いながら、現実とは無関係な印象しか残らないのがすごい。核心を迂回(うかい)しつづけるほのめかし的なスタイルで、文学のスキル的には新人離れした非常に精緻な筆致で書かれているんですけど、扱われているモチーフは同時代的なのにまったく現実に訴求しない。小谷野敦氏が「名工の作った茶器を愛(め)でるような感じ」と「週刊読書人」の芥川賞対談で評していましたが、「ここのほのめかしが伏線になっているわけか、ううむ、巧(うま)いもんだねえ」と盆栽を眺めるみたいな話になってしまう。社会問題をとりこんでいるのに、社会的なダイナミズムみたいなものがまったく失われている。ある意味で究極的な文学かなと思いました。

――平成の文化は全体として元気がなかった?

栗原 いや、そんなこともなかったとは思うんですよ。とくに映画はここ数年、カネ回りが悪い中で、興行的にも作品的にも記録的なヒット作が何本も出ていますよね。

 音楽も、CDバブルが90年代後半にはじけて、2000年代は低迷の時期でしたが、低迷してる状況を前提に、フェスとか、Spotify(スポティファイ)に代表されるサブスクリプション・サービスといった新しいインフラが整ってきて、そのインフラに対応してビッグになる人というのも出てきています。かつてのCDというパッケージ・メディアに依存したビジネスと比較するとこぢんまりとしてはいるものの、活気を取り戻してきている印象です。

――低迷しているのは、文学、思想、人文科学……。

栗原 一般論的に、というか観測的な実感論になりますが、出版は音楽よりだいたい10年くらい遅れるんですね、なにごとも。電子書籍も、音楽の配信サービスより10年くらい遅れている。マクルーハンの「メディアはメッセージである」じゃないですけど、電子書籍というフォーマットが、思いがけないイノベーションをもたらす可能性はあると思います。Amazonの読み放題サービスであるKindle Unlimitedが、日本では想定外の読まれ方をして、一部の人に特需をもたらしたというのが最初のころにありましたが、そういうイレギュラーが表現の内実に作用する可能性というのもあると思うんですよね。

 そういう空想的ビジョンはさておき、一文筆業者としては、景気が良くなれば、原稿料も上がるかもしれないし、依頼が増えるかもしれないし、本もよく売れるかもしれないので、とりあえずアベノミクスには成功してもらいたいですね(笑)。

(この項、終わり)*毎週月曜日更新

<次回予定>
12月25日 小室哲哉さんの「平成のpop music: 渦中からの証言」(1)

写真:毎日新聞出版・髙橋勝視