大下英治(おおした・えいじ)
作家。1944(昭和19)年広島県に生まれる。1歳のとき被爆。父を失う。苦学の末、広島大学文学部仏文学科を卒業。大宅壮一マスコミ塾第7期生。1970(昭和45)年、『週刊文春』特派記者いわゆる“トップ屋”として活躍。圧倒的な取材力から数々のスクープをものにする。月刊『文藝春秋』に発表した「三越の女帝・竹久みちの野望と金脈」が大反響を呼び、三越・岡田茂社長退陣のきっかけとなった。1983(昭和58)年、『週刊文春』を離れ、作家として独立。政治、経済、芸能、闇社会まで幅広いジャンルにわたり旺盛な執筆活動を続ける。『小説電通』(三一書房)でデビュー後、『実録 田中角栄と鉄の軍団』(講談社)、『美空ひばり 時代を歌う 』(新潮社)、『昭和闇の支配者』(だいわ文庫)〈全6巻〉、自叙伝『トップ屋魂』(解説:花田紀凱)、『孫正義世界20億人覇権の野望』、『小沢一郎の最終戦争』(以上ベストセラーズ)、『田中角栄秘録』、『児玉誉士夫闇秘録』、『日本共産党の深層』、『公明党の深層』、『内閣官房長官秘録』、『孫正義秘録』、『小泉純一郎・進次郎秘録』、『自由民主党の深層』(以上イースト新書)、近著に『安倍官邸「権力」の正体』(角川新書)、『電通の深層』(イースト・プレス)、『幹事長秘録』(毎日新聞出版)など著書は450冊以上に及ぶ。
(承前)
――(平成史編集室・木村健一)大下さんは、自叙伝『トップ屋魂――週刊誌スクープはこうして生まれる!』の前書きで、哲学や政治思想を持ち出すまでもなく、どのジャンルであれ、物理法則的に言って、はみ出すエネルギーの絶対値が大きい人物に書き手として魅力を感じる、と書かれていますね。ビートたけしさんも芸人論や映画論のなかで、同様のことを言われています。
大下 はみ出さざるを得なかった人間の性(さが)に触れると、ノンフィクション作品に奥行きが生まれるんです。理屈で説明のつかないものが一つでもある人間は魅力的ですよ。たとえ犯罪者であれ、そこに物語が生まれるわけです。例を挙げれば、三島由紀夫が激賞したジャン・ジュネの『泥棒日記』は世界的な文藝作品でしょう。
ですから私は、『魔性―福田和子 整形逃亡5459日』(徳間文庫刊)を出版するにあたって、同僚ホステスを殺害した事件現場の四国・松山から逃亡先の北陸まで現地取材し、彼女の深層心理に迫りました。その作品は、のちにテレビ朝日でドラマ化されました。
――しかし、いまの霞が関は、はみ出し過ぎ、忖度(そんたく)のし過ぎの官僚が多いですね。
大下 一連の福田淳一前財務事務次官のセクハラ・スキャンダル辞任劇や、森友・加計学園問題をめぐる佐川宣寿(元・財務省理財局長、前・国税庁長官)、柳瀬唯夫元首相秘書官(現・経済産業省審議官)ら高級官僚のバレバレの忖度発言や言い逃れを見てて思うのは、ああいう連中が党を預かる幹事長や民間企業のトップだったら大変ですよ。組織が崩壊すると思いますよ。民間だったら信用取引が第一でしょ。そのことが全くわかっていない。支持率の低下に直結する信用問題は、民間企業なら売り上げの激減を意味します。一度、信用を失ったら取引は終わりでしょう。
財務事務次官だった福田さんなんて、世間がなんで自分を非難するのか本質的にわかっていなかった。だから辞任会見時も、頭を下げずシラを切ったでしょ。
――確かに民間企業なら考えられませんね。
大下 つまり、本人の個人的な資質の問題ではなくて、麻生太郎副総理兼財務大臣はじめ、財務省は省を挙げて組織全体でかばっていたでしょう。それが財務省による公文書「改ざん」に至る問題の本質なんですよ。要は、組織体質の問題なんです。
官僚っていうのはいつも物事を人から頼まれるんですよ。人に頭を下げて物事を頼んだことがないんです。とくに官僚の中の官僚である旧大蔵官僚(現・財務官僚)は常人が思う以上に、心の底から「自分が一番偉いんだ」と思っているんです。
――20年前、大蔵省を揺るがし、金融庁分離のきっかけにもなったノーパンしゃぶしゃぶ事件(大蔵省接待汚職事件)から全く懲りていませんね。
大下 大蔵省(現・財務省)の人たちは普通の人間とは違うんです。僕が「週刊文春」記者時代、大蔵省に村上孝太郎という「村上天皇」と呼ばれた事務次官がいました。「週刊文春」の取材で行った時ですよ。「おうっ!」って言って、私の目の前にふたつ靴がありましたよ。どういう意味か、わかります?
――「靴の裏を舐(な)めろ」という態度ですか!?
大下 そう! 記者である私の目の前にふんぞり返って、両足の靴の裏を突き出していたのです。「週刊文春」のインタビュー中、ほとんどソファに深々と寝ているようだった。「いったい何かね」「フムフム、いったいそれが何だ」という種族なんですよ。「下々の者とは違うんですよ」という言動と態度なわけです。伝統的に大蔵省は。
――霞が関の中でも、「官庁の中の官庁」と言われる財務省のエリート意識は突出している、と他の省庁の若手官僚に話を聞いたことがあります。
また、元財務官僚によれば、在職時に広報を担当した際、上司から「おーい、鳩(はと)に餌やってこい」と日常的に言われていたそうです。
大下 「鳩がマスコミ、餌は財務省が流す官製情報」ね。だから、普通の人とは意識が違うんですよ、いわゆる「上から目線」の人が多い。しかも財務官僚トップの事務次官だからね。完全に浮世離れしているわけです。
セクハラ発言の音声まで「週刊新潮」に公開されて日本中に恥を晒(さら)してなお、エリート中のエリートの財務事務次官が、あまりに見苦しい態度と発言ばかり繰り返して辞任した。一般的に考えても、悲しいでしょう。東大法学部を優秀な成績で卒業した日本の大秀才ですよ。大蔵省時代の競争率って、約2000倍ですよ。そのトップの事務次官ですよ。
私は、国民福祉税導入に挑んだ小沢一郎のブレーンであった斎藤次郎(さいとう・じろう)大蔵次官(のち日本郵政社長)や小泉構造改革を総理秘書官として官邸で支えた丹呉泰健(たんご・やすたけ)元財務次官(のちJT会長)など、歴代の大蔵・財務省の事務次官、主計局長経験者ら幹部を直撃した『財務省秘録』(徳間書店刊)も書いています。ですからこれまで旧大蔵・財務省を尊敬したこともありますよ。
大蔵省時代から、入省1年目の新人に何を教えるかというと、「こういう時にお前が総理だったらどういう判断をするか」と考えさせるんです。そういう話を直接聞くとね、やっぱり大蔵省は違うなぁ、と感心したんですよ。
大下 それが今では、セクハラ発言で事務次官が辞任し、財務省理財局が公文書を改ざんするなんて、昔では考えられませんでしたよ。なぜこうしたことが起こるのかというと、政治主導の名の下、「内閣人事局」を設置後、すべて霞が関の幹部人事を総理官邸が握っていることに起因します。
内閣人事局長を務める、官僚のトップである杉田和博内閣官房副長官(事務)に加えて、実質的には安倍晋三総理の懐刀(ふところがたな)である菅義偉(すが・よしひで)内閣官房長官と経済産業省出身(元資源エネルギー庁次長)の今井尚哉(いまい・たかや)内閣総理大臣秘書官(政務)の霞が関に対するブリッジが利き過ぎた。その反動が、森友・加計学園問題の「忖度」に表れています。
――2012(平成24)年12月の第2次安倍政権発足以降、「安倍一強」官邸を支えた主要メンバーがここにきて、霞が関を抑え切れなくなってきている、と言い得ますか? 森友学園問題は、消費増税を2度延期させられ、経産省に比べ政権中枢への影響力が相対的に低下した財務省による揺さぶりと見る識者もいますが……。
大下 いいえ、むしろ霞が関に対する官邸の睨(にら)みが利き過ぎた結果、こうなった。私は、菅官房長官にも今井総理秘書官にも直接取材していますが、エリート官僚が最も関心のある省内幹部人事を官邸に握られた霞が関は、まな板のコイですよ。
だから、この1年余り、森友・加計学園問題は安倍総理に対する官僚の忖度の嵐なわけです。佐川前国税庁長官だろうと柳瀬元首相秘書官だろうと、霞が関挙げてみんな忖度。とにかく忖度のし過ぎなんですよ。財務省が国会に提出した改ざん文書を見れば、安倍昭恵夫人の名を表に出したくなかったのは明らかです。
もう一つは、その忖度が見え見えで、あまりに幼稚過ぎた。安倍総理の国会答弁との整合性を意識して公文書を改ざんした、と見られている。
――財務官僚が、公文書を改ざんしてまで、なぜ「忖度」するのかには、内閣人事局の影響力とともに、退任後の「天下り」「渡り」の問題がありませんか?
大下 「天下り」の斡旋(あっせん)禁止は法規制されていますが、実情は定年後の「懐事情」が忖度に影響を及ぼしている側面もあるでしょう。財務省を例に言えば、主計局長、財務官、国税庁長官、事務次官クラスを歴任した人材を最高幹部にむかえる政府系金融機関や大企業は数多くあります。財務省退省後、75歳くらいまで元気だと、こうした組織の最高顧問や取締役、監査役を2、3年単位で、5、6社「渡り」歩きます。厚遇される局長から次官経験者クラスは、総額数億円の報酬や退職金が得られるわけです。だから、官僚は「忖度」を止(や)められない。
1987(昭和62)年、竹下登元総理に対して、右翼団体による「ほめ殺し」事件がありましたけど、現在は霞が関官僚による、ある意味「忖度殺し」ですよ。
――ただ、「忖度」は立証がむずかしい側面がありますね。立件に問うまでにはかなりハードルが高い。大阪地検は佐川前国税庁長官らを不起訴処分にしました。その意味では永田町の関心は、9月の自民党総裁選に移行しつつありますね。
大下 これで「一強」といわれた安倍政権が終わる可能性も出てきました。一連の森友・加計学園問題であまり指摘されていない大きな問題があります。それは、最高学府を出た財務省の高級官僚があんな惨(みじ)めったらしい噓(うそ)を公についていたら、これから就職活動する大学生は、官僚になるより外資系に行った方がはるかにいい、と認識していることです。他人から尊敬もされない大人になりたいとは思わないでしょう。
――近年は、東大生の「官僚離れ」が進んでいるらしいです。
大下 財務省に比べ、ゴールドマン・サックスやJPモルガンなどの外資系金融機関は、はるかに待遇がいい。しかも、入省「年次」による縦割り組織のお役所勤めとは違い、裁量が大きいビックビジネスに実力次第で20代から関われるわけですから。学生の目から見ても、「財務省は落日のブラック官庁」に映るでしょう。
本来エリート中のエリートが、上の顔色ばかり窺(うかが)いながら国会で「忖度」の弁解発言をする、こんな恥ずかしい姿を見せたことは、今後入省する人材に、優秀な人がさらに減りますよ。国家を揺るがす官僚の、惨めったらしさをお茶の間に晒してしまった。これは霞が関の大きな劣化現象です。つまり、有権者に「官僚は信じられないんじゃないか」と思わせてしまった。その意味における、行政府の長としての安倍さんの罪は大きいと思う。
<次回予告>
次回は、大下英治さんが語る「平成政治の舞台裏」(3)――自民党総裁選を読む――
撮影:髙橋勝視(毎日新聞出版)